日本人向けのツアーは安心の日本語公認ガイド付き。しかも途中でノルマンディ地方の港町「オンフルール」にもよるという欲張りツアーになります。日帰りでのバス旅なので身軽に出かけられるのも魅力ですが、まだ暗い空のパリを朝7時20分に出発。ルート13( オートルート・ドゥ・ノルマンディ)をひたすら北上してノルマンディ方面へと向かいます。
「モン・サン=ミシェル」への日帰りツアーは人気で、同じような旅程のツアーがいくつもあります。パリから2時間半ほど走ったところにあるサービスエリアでトイレ休憩し、その後15分ほどでレトロな雰囲気の港町「オンフルール」に到着。
ガイドさんいわくここは「取り残された港町」で、他の港がメインで使われるようになった現在も昔のままの姿で残った場所なのだそうです。
▲ひっそりとした町の雰囲気とメリーゴーランドが印象的
コンパクトな「オンフルール」の町を少しの時間散策してバスへ戻り、「モン・サン=ミシェル」に向けて出発。バスの車窓からは広大な自然の中に放牧された馬、牛、羊などの姿が見え、ポツンポツンと点在するシンプルで美しい形の家など景色をゆっくりと楽しめます。長い距離を移動している間に空模様はころころと変わり、「モン・サン=ミシェル」の対岸に着く頃には強い雨が降り出しました。
|ランチタイムは名物のふわふわなオムレツ&シードル
対岸に着くと、すぐにレストラン「ラ・ロティスリー」へ案内されます。
ここで参拝客をもてなすためにつくられたという名物メニュー「オムレツ」と、地元で盛んに生産されているりんごのお酒「シードル」が振舞われます。
▲運ばれてきた大きなオムレツにスタッフがナイフを入れると、中からとろりと卵があふれ出てきます
▲昔ながらのシンプルな味付けのオムレツの後はメインの魚料理が
▲デザートは素材の味を生かした美味しいりんごのタルト
そんな伝統のランチを終えると、いよいよ専用バスに乗車して「モン・サン=ミシェル」へ向かいます。バスを降りて驚かされたのが風の強さ。ここが海に囲まれた場所だということを忘れていました。この日は大雨でしたが、とても傘をさせる状態ではありません。天候も変わりやすいそうなので、訪れる際は念のためレインコートを用意しておくのがオススメです。
|いよいよ世界遺産「モン・サン=ミシェル」の内部へ
身体が吹き飛ばされそうになるほどの風と強い雨に見舞われながらも、目の前に現れた「モン・サン=ミシェル」の姿はなんともいえない美しさ。
島の入口の門をくぐると大聖堂まではいくつかのルートがあります。
お土産ショップやレストランなどが両脇に並ぶメインストリートから向かうルート、外壁沿いに島の外側から向かうルート、主に階段を使い裏路地を進んで向かうルートなど、行きと帰りで違う道を歩くと2倍楽しめるはず。今回はあまり混雑していない裏路地ルートを利用します。
道の途中でふと見上げると、そびえ立つ「大聖堂」の姿が見えました。
そして、修道院の入口へと到着。
受付を済ませ、大聖堂に向けて階段を登っていると左手に修道僧のための住居が見えます。
▲現在の島の住人は全部で20人(うち13人が修道僧)とのこと
まずは眺めの良い「西のテラス」へ。当初の教会の前庭と18世紀の火災で焼失した身廊前部3列で構成された「西のテラス」からは対岸とモン・サン=ミシェルをつなぐ「パセレル橋」と「クエノン川」(下写真右手)を一望できます。
▲「クエノン川」を挟んで右側がブルゴーニュ、左側がノルマンディー(モン・サン=ミシェルはノルマンディー側に位置)
建物の方に目を向けると正面に「大聖堂」、その左手に見える建物は修道僧たちの寝室だった場所、さらに上の方に目を向けると鐘楼の上に金色に輝く聖ミカエルの像が見えます。
また、テラスのタイルに目を向けると数字やマークが。
これは「ルーブル美術館」で見たものと同じく建設当時につけられたもので、読み書きができなくてもこのマークで誰が運んできたのかを判別し、歩合制で給料をもらっていたそうです。
続いてひっそりと落ち着いた雰囲気の「大聖堂」の内部へ。
内陣部分はゴシック様式で、シンプルですが美しいステンドグラスが印象的です。対して身廊部分はロマネスク様式。もともとは全てロマネスク様式でしたが、1421年に損壊、1521年~1523年にゴシック様式の内陣を再建したことにより2つの様式が合わさった建築となっているのです。
▲床の一部がガラスに。ここから下の部屋と連絡をとることができます
修道院は土地に限りがあるため3階建てとなっていて、大聖堂がある部分はその3階部分。建物全体が不安定な岩山の上に建てられているということもあり、何度もひびがわれたり崩れたりした経験から主な天井部分は、少しでも軽くするために木で作られているそうです。
ちょうど大聖堂内陣の下に位置する「大基柱のクリプト」は大聖堂の内陣を支えるために15世紀中頃に作られたもの。何度も崩れてしまった過去の経験を生かして、現在は10本の太い柱が使われています。
▲大聖堂の床にあった連絡用の窓は明かりを取る窓としての役目も果たしていました
大聖堂の隣、13世紀の初頭に建てられた「メルベイユ」と言われる建物の最上階につくられた「回廊」の天井部分も木製。
137本の柱は重さを分散させるために交互に建てられています。
この「回廊」は修道僧が瞑想をするための大切な場所で、食堂や厨房、大聖堂や共同寝室など主要な場所へとアクセスできる便利な通路としての役割も兼ね備えていました。
次に訪れたのは「回廊」の隣にある修道僧のための「食堂」です。
一見この部屋には、奥正面にしか窓がないように見えますが、実は左右の列柱の間に59もの細い窓があります。そのため部屋の入口に立った時、部屋全体に光が溢れているように感じるのです。「一歩進むと一つの窓が開くように光が差し込み、通り過ぎると窓が閉じるように光が消える」と言われている特殊な作りの窓は、大聖堂にあったものと同じようなシンプルなデザインのステンドグラスとなっています。
食堂が使用されていた当時、食卓は全て壁に向けて配置されていて、全員が壁の方を向いて食事をしていたのだそう。また食事は1日に1回だけ、当時貴重だったロウソクをできるだけ使わないよう、窓から入る自然光のみで食事ができる午後2時ごろだったと言います。メニューは野菜とスープ、メインの料理、デザート、そして赤ワインも飲まれていました(ワインは栄養面を補い、また何より身体を温めるという点でも欠かせないものでした)。
ちなみにこれまで訪れた「食堂」や「回廊」、「大聖堂」などは神に最も近い場所とされていたため、聖職者のみしか使用することができなかった(たとえ王様でもNG)そうで、王様など身分の高い人が訪ねてきた時は「食堂」の下(2階部分)に位置する「貴賓室」が使用されていました。
▲「貴賓室」には暖炉2つと化粧室が備えられたゴシック様式の空間
そんな神聖な場所だったはずの「モン・サン=ミシェル」の修道院ですが、実は監獄だった時代があります。
囚人たちの食糧を運び入れるためにそりに載せて上に引き上げていた梯子(上写真)など、その当時の名残も伺うこともできるのです。
このように外から見ただけでは想像がつかないような多くの部屋があり、「医務室」や修道僧のための「納骨堂」まで生活に必要なすべてが揃っている修道院は、とてもあの海に浮かぶ孤島の建物の内部だとは思えないほど。スペースが限られている分どの場所もシンプルながら機能的で美しく整えられていて、想像以上に見ごたえがあります。
そして、帰り道に見たモン・サン・ミシェルは、行きとはまた違った印象。
どんな天気の時でも、また、時間帯によっても表情が変わります。いつ見ても本当に美しく、島全体がまるでお話の中に登場するお城のようでした。
そんなモン・サン=ミシェルのお土産には、りんごのお酒「カルバドス」がオススメ。モンサンミッシェルの姿が刻印された瓶が記念になること間違いなしです。
往復約8時間のバス移動はフライトの疲れが残る身体には少し堪えるかも知れませんが、ぜひ滞在期間に少しでも余裕があったら出かけてみるのがオススメです。また、モン・サン=ミシェルに宿泊するツアーもあるそうなので、興味のある方は現地のツアー会社に問合せてみてくださいね。<text:yoko photo:beauty news tokyo編集部>
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2020/07/12| TAGS: lifestyle
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