少し前までは、「(公私ともに)定期的に人と会っていないといけないのではないか」とどこかで思っていましたが、その思い込みを手放すことにしました。わたしが働いている職場は、コロナ禍をきっかけにオンライン中心の働き方になりました。それにより、以前のように毎日必ず大人に会って話すという生活ではなくなりました。
今、わたしが定期的に接している大人は…
・ネイリストさん(3週間に1回)
・理学療法士さん(週に1回)
・ピラティスのインストラクターさん(週に2、3回)
で固定されており、かなりシンプルです。どの方とももちろん、仕事ではないので議論になることもなく、ちょっとした世間話や近況の笑えることなどを話すくらいの関係なので、心に負荷がかかりません。楽しく会話して、手元や体を整えてもらい、心地よく帰ってきます。食事にたとえるなら、サラダやシンプルなうどんのような、頻繁に食べられる消化にいいもの。
一方で、会社の人と対面して、時に議論したり打ち合わせしたりすることは、わたしにとっては、ガッツリ唐揚げやトンカツを食べるような、毎日だとちょっと大変なことでした。今の生活になり、人間関係における「揚げ物」がほぼなくなったことで、なんだか心が楽かも…? と気づいたのです。
そして、断食と今の生活(コロナ禍でほぼ誰にも会わない)は似ているのではないか、と思いました。
食事も、人と会い続けることも、過剰だと自分の体や心に負担をかけてしまいます。そして、どちらも一定期間断ってリセットすることで、体や心がスッキリするし、本当に食べたいもの、または会いたい人がわかるから、というのがその理由です。
人から言われた言葉や目線の動き、しぐさ、その人が持つ空気感など、実は人に会うだけで話す内容以上に多くのものを受け取っています。それらは、いい方向にも悪い方向にも、何かしら自分の感情を動かし、時に疲れさせることもあるのではないかと思います。
人と会い、「会話をする」ことは、一度相手の考えを受け入れるために理解し、自分の中で咀嚼し、その結果、どんな内容を相手に返すか決めること。そして、その判断を短時間でし続けること。また、時には相手が自分の心の中にネガティブな感情を残していくこともあるので、それを心のゴミ箱に捨てる(忘れる)作業も必要です。
思った以上に集中が必要で、そして頭や心の中にはいろいろな感情や考え、思いが飛び交いフル回転。そりゃあ、人に会ったら疲れるのはしかたないなと思います。
「フル回転」の機会がほとんどない、人と会わない今の生活は、座りっぱなしでいることで体は疲れても、心は疲れにくくスッキリしていることが多いです。職場の人たちとのやりとりはSlackやメールのテキストメインなので、対面の打ち合わせのように即答しなくてもよく「ひと呼吸置いて、しっかり内容を吟味してから」返信できます。そのため、あとで「あんな風に言わなければよかった…」という「くよくよタイム」があまりないのも、心の疲労度が減った理由のひとつ。
わたしにとって、人と日々会い続けることは、たとえば食べすぎてしまうと体に負担をかけるように、心に負荷をかけることだったのだと思います。
「毎日こんなに誰にも会わない生活のままでいいのだろうか…心の『対人関係筋』がなまってしまうのでは」と不安になることは今だにありますが、今の生活になって対面で接する人が限られたことは、実はかなり「楽」なことでした。
モノだけでなく、食べる量も、そして会う人も、自分にとっての適量にすることでもっと心地よく生きられるならそれでいい、と思えるようになりました。
そして、結果的に人断ちしている生活になっているからか、対面で話したいと思っている人と会えたときは、たまに食べる揚げ物のようにうれしいです。「せっかく直接会って話せてるんだから」と、その時間をこれまで以上にとても大切にするようになりました。
これは、人間関係においての粗食生活になったからこそ気づけたこと、そして自分の行動を改善できたことでした。<text:なまけるための片付け/花太郎(整理収納アドバイザー) https://note.com/namake_kataduke>
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2022/05/01| TAGS: lifestyle
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