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【思考をキレイにする旅の仕方(325)】今だからこそリトアニアの「東洋のシンドラー」の話は沁みます

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「東洋のシンドラー」とも呼ばれる杉原千畝さん。

 

第二次世界大戦中、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきたユダヤ人など難民たちの救世主として知られています。

 

当時、リトアニアのカウナス在日本領事館にいた彼は、外務省からの訓令に反し、失職覚悟で大量のビザを発給し始めたのが、1940年7月9日。

 

 

リトアニアに伺った際、カウナスにも滞在していました。

 

首都ビリニュスから100キロほど西にあるリトアニア第二の都市です。

 

もちろん杉原千畝さんの名前は、現地の人からも耳にしましたが、

 

私が子どもの頃に観たアニメ「キャンディキャンディ」の歌を日本語で歌うことができる人が多いことに衝撃を受けました。

 

「ソバカスナンテ キニシナイワ…」と。

 

学校の授業の最初に、「昨日のキャンディキャンディ観た?」から始める先生もいたのだとか。

 

当時、リトアニアの方々は原作が日本人によるものとは思っていなかったらしい。

 

 

杉原千畝さんに話を戻します。

 

約6,000人もの難民を救ったと言われる杉原千畝さんでしたが、帰国後、訓令に背いたことで外務省を退職し、職を転々としていたようです。

 

 

彼の功績が認められ始めるのは、戦争終結から40年後の1985年でした。

 

しかもイスラエルで。

 

その翌年に彼は亡くなります。

 

その後の杉原千畝さんの再評価の高まりは言うまでもありません。

 

日本国政府による名誉回復がなされたのは、彼が「いのちのビザ」を発給してから約60年後のことでした。

 

杉原千畝さんの名前を耳にすると、「葛藤」、「選択」について考えさせられます。<text:イシコ http://sekaisanpo.jp/


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