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大人に憧れて背伸びをしていた若者は、「若者についていこう」と頑張る大人になった【毎日が変わる片づけのワザ(96)】

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わたしはよく、娘から「ママって、どの時代も生きてないよね」と言われます。昭和から平成、令和まで、過去も今も特に「この時代にはこれが流行ってね!」と熱く語れる期間が確かにない。バブルも経験していないし、コギャルだったこともない、はまっていたテレビ番組なども特にない。

 

早起き、本好き、文章を書くことが好き、眠るのが好き。これだけが小学生から今になるまで変わりません。(あ、「ガラスの仮面」は小学生のときからずーっと好きです!)

 

最近よくみる、世代間のギャップをテーマにした番組。平成生まれが昭和生まれの流行りを知り、逆に新鮮~と驚く。そしてZ世代の流行を知らない大人に若者が若干ひく、この一連の流れ。

 

娘に言われた通り「特にはまっていた時代のない」わたしにとっては、それが昭和のことだろうが平成令和のことだろうが、すべてが新しく、素直に「へ〜」と思えておもしろいのです。「超無敵クラス」など、若者と大人が絡む番組をみるのが好きな自分に最近気がつきました。

 

その昔は、若者が大人に憧れていたような気がします。服や靴、音楽、夜遊びなど。それはきっと、流行を大人が作っていたから。背伸びして近づこうとしたのだと思います。

 

時は流れて令和。若者がスマホを持ったことで、形勢は逆転しました。流行はSNSのスピードとともに生きる若者が作り出しています。大人は、若者から流行を教えてもらうようになりました。情報の力関係が変わったのです。

 

わたしが若者だった当時の大人たちは、あのとき背伸びしていた若者をどうみていたのかな、と最近思うことがあります。
見守る優しい目だったのか、上から見下ろすものだったのか。そして、若者が見上げていた上の世代へのまなざしは、今では大人が若者の背中を追うものに変わったような気がします。

 

今の大人たち、若者についていこうと必死。若者文化を知らない、理解できないことが微妙に残念な感じになる空気。職場でもそんなやりとりになることが増えて、大人がここまで若者たちの流行についていこうとするのはなぜなんだろう、とふっと不思議になりました。

 

昔、大人に憧れて背伸びする若者は滑稽ではなかったのに、若者文化を必死に理解しついていこうとする今の大人は、時にどこか余裕なく滑稽にうつる。若者の感覚についていけないことってそんなに悪いことなんだっけ…? と。

 

ついていけなくて当たり前、だって生きてきた時代が違うし、今過ごしている時間も違う。わたしたちはもう学生じゃない。「頑張って」ついていかなくてもいいし、ついていけていないことがダメだと思う必要はないんじゃないかな、と最近は思っています。マンガも小説も音楽も、アーティストも食べ物も、若者に流行っているからではなくて、自分が好きなら、どの世代のものでも好きでいたらいい。

 

でも、その自由度が特に若者にあるのが今の時代なのかもと思います。昭和も平成も令和も取り入れながら生きていけるのが無敵だなと。

 

たとえば高校生が、好きな昭和ポップスをレコードで聴く、のはなんだかいい感じ。でも、大人が若い音楽をきいているのは、どこか「ああ、若者の流行りを理解しようとしてるんですね…」と痛々しいもののような反応をされる気がして、ちょっと恥ずかしくて言えなかったり(娘の影響で好きになったアーティストも何組かいますが、「このアーティストが好き」とは娘以外には言わないようにしています…)。

 

とはいえ、せっかく今は「無敵世代」である娘と過ごしているので、これからも娘の好きなものを教えてもらいながら、自分にとっての新しい「好き」を探していくことを楽しみたいと思います。<text:なまけるための片付け/花太郎(整理収納アドバイザー) https://note.com/namake_kataduke


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